その場にいない誰か と 目の前の私

 おはようございます。
 今朝立ち寄ったコンビニで、後ろから突然声をかけられました。
一人先客があったのは認識していましたが、まったく知らない人だったので、別に挨拶も何もしませんでした。お弁当を選んでいるときに、その方が、背後で突然おはようございます、といわれました。しまった、誰だっけ?知り合いだったか?とりあえず挨拶を返さなければ、と思い、振り向きざま、会釈をしました。おはようございます、と言うつもりでしたが、「おは」までで止まってしまいました。なんと、その方は、ケータイで、話していたのです。挨拶の相手は私ではなく、その場にいない、だれか、だったのです。

 お互いに気まずかったのはいうまでもありません。
 
 携帯電話はこのところ急速に普及してきました。かつてはただの電話機でしたが、今やいろんな機能があり、ただの機械ではありません。今は、携帯電話なんていいませんよね、ケータイです。皆さんは何を求めて、ケータイを所持するのでしょうか。便利さ?コミュニケーション?情報(の伝達、受信)?それとも、もっていないと不安だから?
 ケータイは、使い方によっては文明の利器。ところが、最近は、どうでしょうか。
電車内での突然の聞きたくもない安っぽいメロディー、車を運転しながらの操作、コンサート会場での突然のベル。日本中どこへいっても、突然、安っぽい機械音が。
 目の前にいる人は無視して、傍若無人な、電波との戯れ。

 本来、携帯電話は、コミュニケーションを図るためのものでした。今や、ケータイは、遠方の相手とはコミュニケーションをとっている(つもり?)が、逆に、近くの目の前にいる人には迷惑。
重大な錯誤を起こしてしまっている。