白壁の街

 子供たちの通っている小学校の創立記念日で、いわゆる学芸会がありました。最大の呼び物は、最上級生の6年生が演じる、白壁の街というオペラです。約半年前から準備しているという、かなり熱の入ったものです。ここ東広島市は、酒造りの街です。それを題材にしたものです。
 とても素晴らしい出来でした。私の知っている子供も何人かいました。あの子があんなに立派に演じている、と感動ものでした。うちの上の子も参加しました。よく頑張った。ついこの前まで赤ちゃんだったのに。私も歳をとった。
 おそらく、彼らの脳裏に、よき想い出として残るのではないでしょうか。久々に、いいものを見せていただきました。生徒の皆さん、先生方、ご苦労様でした。
 ところで、気になったことを少々。(偏屈人のつぶやきです。以下は聞き流してください。揚げ足をとってすみません。)
 『みんなが主役』と、放送で言っていました。気持ちは分かります。でも、言葉をもっと大切にして欲しい。主役は一人です。その他諸々は、脇役です。脇役は、主役ではありません。言葉をごまかさないで欲しい。最近言葉が軽くなっているような気がします。本来言葉が持っている意味を大切にしたいと思います。
 脇役がしっかりしなければ、主役も引き立ちません。一人でも欠けると、オペラは成り立ちません。そういう意味では、参加者すべてが大事な存在です。縁の下の存在、裏方がいなければ、物事は成り立ちません。主役も、脇役に支えられた存在です。
『みんなが主役』といわずに、『脇役もすばらしい』と言って欲しかった。脇役を主役と言いごまかさず、脇役には脇役の輝きがあることを、じっくりと生徒さんたちが考える機会になってくれればと思いました。それに、『みんなが主役』というと、ほんとの主役に失礼です。その他大勢と、主役とでは、練習量、かかるストレスには大きな違いがあるのではないでしょうか。
 最近は、運動会の徒競走でも順位をつけずに、過去の自分の記録と比べたりと、なにか訳の分からない徒競走(?)があるそうです。順位をつける、差をつける、違いを認識する、といったことを意識的に避けているように思われます。五人で走れば、一等と五等がいるのは当たり前。一等だったら、良くて、五等だったら、だめ。そのような短絡的な思考が、悪平等主義の前提にあるのかもしれません。ビリだっていいじゃないですか。それでその人の人格が否定されたわけではないでしょうに。おおらかさが欠けていませんか。
 ちょい出の脇役だっていいじゃないですか。主役のほうがいいに決まってるけど。独唱がうまくできなければ主役にはなれません。うまい子が主役、そうでなければ、その他諸々。しかたない。歌の練習するか。
 自分の優れている点、劣っている点、それを認識することは大事ではないでしょうか?そのためには、相対的な評価(順位)も必要と思います。学校では集団で過ごすのですから、そのような評価が出来るいい機会だと思います。学校では、自分の能力を客観的に評価できる能力を子供たちに付けさせて欲しいと思います。
 自分を客観的に評価でき、また、他者も正しく評価し、他者の能力をすなおに賞賛できる才能が大事だと思います。
 子供たちはこれから先も、のびのびと、大きく育って欲しいと思います。自分自身を信じ、才能を広げて欲しいと思います。自分に自信を持ち、自身の能力を正しく評価し、大事にして欲しいと思います。