なにもしないことの価値

[話題]なにもしないことの価値
 私の小学生時代、学校内での最大のお楽しみは、お昼休みでした。給食ではなく、その後の自由な遊び時間。ドッジボールをしたり、バトミントンをしたり、おにごっこをしたり。なににも拘束されず、友達と遊べる時間。何をしようか自由に選択できる時間。断片的にではありますが、その時間の楽しかった記憶が、結構頭の隅に残っています。
 さて、今の子供たちにも、同じような記憶が残るのでしょうか?
 息子の通っている小学校は、六年生になると総出でオペラに取り組んでいます。多人数が集まらないと出来ないことなので、学校で行うには、もってこいの教材であると思います。非常にすばらしい取り組みだと思います。先日それを観せていただきましたが、それは素晴らしいものでした。テレビ局が取材に来たこともあります。その小学校の伝統といってもよいのでしょう。
 ここまで立派なものにするには、それなりの練習を積んでいるのだと思います。朝授業が始まる前、そして、私にとっては信じがたいことですが、なんと昼休みにも練習をすることがあるようです。(朝のオペラの練習の前には、長距離走の練習があるようです。ちょっとハードではないですか?)おまけにもう一つ。たいてい、学校の演劇やコーラスなどは、学芸会もしくは発表会がフィナーレ、それが最後で、それっきり終了です。ところが、このオペラは、地元のお祭りの時、中央公民館で披露して、学校の創立記念日でまた披露して、しかも後二つ、本番(公演)があるようです。当然そのうちの幾つかは、子供たちの貴重な、お休みの日をつぶして、ということになります。小学校でしょうか?何かの劇団でしょうか?
 うちの子はいつもくたくたになって帰ってきます。結構練習がしんどいようです。(お遊びもしんどいようですが。)帰宅してすぐ寝てしまうこともあります。もちろん、オペラの練習のみがその原因とは言えないでしょうが、大きな原因の一つであると私たち親は考えています。おまけに、毎日の宿題がストレスになっています。2時間で出来る量を出しているとのことです。えっ?2時間もノルマがあるの?オペラでくたくたなのに?ノルマが多すぎませんか?
  公園から子供たちの歓声が絶えて久しいといわれています。家でゲームをする、塾に行く、等いろいろ原因が言われています。まさか、学校が忙しいから、学校が疲れるから、宿題が多いから、という理由がこれに加わっているとは、つい最近まで考えもしませんでした。
 何事も一生懸命するのはとても良いことで、出来たときの達成感は素晴らしいものがあるでしょう。みんなで伝統のオペラを上演する。とても素晴らしいことです。でも、そのために他の時間が浸食されるようでは、どうでしょうか。何かする以上は、当然、当事者たちは、一生懸命します。子供達のことですから、きっと、くたくたになるほど頑張っているのでしょう。
 ただ、ちょっと振り返ってみても良いのではないでしょうか。もし、それをしなかったら?することによって得られるものも当然ありますが、失っているものはありませんか?しないことによって得られるものもあるのではないでしょうか?今取り組んでいることに、大きな時間と労力を消費してしまっていますが、それをしなかったら、同じだけの時間と労力を他のものに振り分けられたはずです。子供たちにとって、そこに何か大事なものがあるように思うのですが。
 人間の心理として、今、自分が一生懸命取り組んでいる仕事に対しては、常に前向きに肯定します。はじめは嫌々ながら取り組んだことでも、ある程度時間や労力をつぎ込んでいれば、それが素晴らしいものであるという評価をするようになります。否定することはありません。ただ、ちょっとふりかえってみてもよいのではないでしょうか?それに時間や労力をつぎ込みすぎたことによって、失われたものはないですか?
 ある庭師さんの言葉
  切るのが仕事。のばし放題にしていては、私が仕事をしたということにならない。
庭園のきれいに刈り込まれた木々は、観ていて気持ちの良いものです。
一方、のばし放題の野山の樹木も、素晴らしい生命力を感じさせます。
ある学校の先生の言葉
  子供達に何かさせるのが仕事。何もさせなかったら、私は何も仕事をしたことにならない。

六年生になると、放課後は、ある子は塾に、ある子はスポーツクラブに、それぞれ時間を費やします。放課後は、結構予定のある子が多いようです。同級生と遊べる時間として、お昼休みは、非常に貴重な時間だと思います。
 先生、子供たちに、自由なお昼休みを返してあげてくれませんか?一生懸命、可能な限り素晴らしいものを創りたいという気持ちは解りますが、遊び時間も大事ではないですか?オペラが下手くそだっていいじゃないですか。
 宿題も多すぎませんか?ノルマの消化に頭がいっぱいで、自分で好きな本を読む、自分で何をするか考える、何もしない時間を過ごす、そういうゆとりが子供たちから奪われているような気がします。
 オペラが、子供たちの良き思い出として残ってくれますように。