登校班の功罪

 この近辺の小学生は、登校は、何人か連れだって行くようになっています。いわゆる登校班というのがあります。おそらく、他の地域でも、同じような登校の仕組みが多いのではないでしょうか。
 どういう目的で登校班ができたのか、そもそもの発端を知りませんが、最大の目的は、危険防止、犯罪予防、ということになるのでしょうか。ひとりで歩くよりは、数人で連れだって歩いている方が犯罪に巻き込まれる可能性は少なくなるかもしれません。そういう意味では、効果的な手段でしょう。もう一つ良い点。学年の違う子供たちの交流が促される、ということもあるでしょう。最近は公園や原っぱで、いろんな歳の子供たちが輪になって遊ぶ、なんてことが少なくなっているようですから。高学年の子が、低学年の子を引率して行きますから、信頼感、責任感などの醸成にもよいかもしれません。

 私が小学生の頃、登校班のようなものはありませんでした。近くの子と連れだって行くことはありましたが。今日は授業前にドッジボールをするから早めに行こう、今日は皆でハンドベースボールをするから、早く行って場所取りをしなければ、なんてことがよくありました。出かける時間はだいたい決まっていましたが、日によっては、友達と約束して、早めに行って遊ぶことがよくありました。
 登校班があると、こうはいきません。集合時間が決まっていますから。授業前にいつもより早めに行って遊ぶ、なんてことができません。また、班で行く以上、集合時間というものがあります。みんなを待たせてはいけないので、親は子供に、早く支度しなさい、早くご飯食べなさい、早く行きなさい、といい続ける羽目になります(我が家だけですか?)。結果、子供の自主性、自立性、自分でしよう、自分で時計をみよう、という意識が薄くなってしまうのではないかと危惧しております。朝は、子供たち各人が、おのおののペースや目的で動ければよいのですが、登校班があると、そうはいきません。集団行動ですから。
安全を求めたが為に、失うものもありそうです。でも、自主性や自由をとるか、命をとるか、となると、答えは決まってしまいます。
 集団で登下校していたところに車がつっこんだ、という記事をかつてみたことがあります。交通事故に遭う確率と、変質者に誘拐される確率とを比べた場合、どうでしょうか。前者の方が、はるかに高いのではないでしょうか。でも、新聞の掲載のされかた、世間の反応は、後者の方がはるかに大きくなってしまいます。もっとも、最近は、変質者にあたる確率の方が高くなってしまったのかもしれません。不気味な世の中になっちゃいました。

かつては、子供たちは、こう言われていました。
 知らない人でも、挨拶しましょう。
今は、このように言われています。
 知らない人には気をつけましょう。

どこで歯車がずれてきたのでしょうか。寂しい世の中になっちゃいました。

 先日も、小学生がさらわれ、殺害されました。残念なことです。信じられない世の中になった、といってもいいのかもしれません。