和をもって貴しとなす

 このところお隣の国々で、日本に対しての抗議声明、運動、デモなどがさかんです。中国、韓国、できれば仲良くしたい隣人ですが、なかなかうまくいかないようですね。
 かつて我が国の軍隊がそれらの国々へ出兵しましたが、それに対する歴史的評価、侵略か、欧米列強からの開放か。はたまた、孤島をめぐる領有争い。などなど、難問が山積みです。
 要するに、お互いに、自分たち(もしくは自分達の先祖)のしていること、やったことを否定したくない、できれば美化したいわけであり、また、自分の縄張りは広い方が良い、という単純な生物学的な(もしくは経済的な)理由がそれぞれの国にありますので、解決は難しいようです。お互い、自分たちに都合の良い理屈、事実を列挙しているのみ。すでに頭に血が上ってしまっている人々も多いようですね。この地方に権益が無い、まったく関係ない遠くの国々の理性ある人たちから見た場合、(極東、なんて変な地方なんだろう、仲良くすればお互い高められるのに。)と思っているかもしれませんね。
 ところで最近、我が国では、憲法の改正(ある人々は改悪といっています。どっちが正しいのでしょうか?)議論が盛んです。九条をどうするか、なんてことが大きな問題となっているようです。ここで、日本人の、先祖を敬う、という特性を多いに発揮したいものです。お札にも肖像が載っている超有名人、聖徳太子さんに登場してもらい、17条憲法の精神、和をもって貴しとなす、を新生憲法の九条に持ってきたらどうでしょうか。
ついでに、それをお隣の国々の憲法にも載っけてもらい、さらには、米国やロシアなどにもその話を持って行きましょう。国連の常任理事国になることにエネルギーを費やすより、国連憲章の改正、その冒頭に、和をもって貴しとなす、と載っけてもらうように、エネルギーを使いましょう。
 どこの国も、自分がかわいいもの。自分の意見を通したい。自分は特別で、偉いと思いたい。当たり前です。
 日出 る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙な きや。
かつて我が国の偉人は、あきらかな国力の差のある大国に向け、このような挨拶状を送りました。
対等に付き合いたい、同じ権利を主張したい。そのような意思を述べていると歴史家は解釈しているようです。
自分の権利の主張は大切なこと。同時に、和をもって貴しとなす、という精神を忘れないように。
聖徳太子は、今の日本をみてどう思うのでしょうか。