見方を変えてみると

 先日、新聞を読んでいて、意外!と思ったことがあった。
ある広告に*1、こんな文章が載っていた。
 雨が少ない日本? という題。その内容は、
 水が豊富だと思われている日本ですが、実は一人当たりの年間降水量は、砂漠の国サウジアラビアより少ないんです。何かいい知恵、ありませんか?
 意外だった。日本は台風、梅雨、降雪などで、降雨量は多い。アラブの国々は、砂漠、灼熱、といったイメージがあり、実際、降雨量は少ないはず。でも、一人当たりに換算すると、意外な結果が。
 見方、尺度、基準をかえると、物事には意外な見え方があるようだ。
 人口減少社会になった、大変だ、といった論調が多い日本。ちょっと見方を変えてみると。
実は、いままで、人口が多すぎたのではないか?一人あたりの国土の面積は、あまりにも少なすぎやしませんか?私が小学生の頃は、日本の人口は1億人だった。今はいつの間にやら、1億2千万人。あっという間に20%増加。これは増え過ぎでは?あまりに密度が増え過ぎ、負のフイードバックがかかり、出生率が低下しているのではないか。鎖国時代の江戸日本は、人口はかなり少なかった(今と比べると)。自給自足できていた。今の我が国の食料自給率はあまりにも悲惨というほかない。ヒトが多すぎるのでは?ヒトが増え続けなければ成り立たない経済社会って、それって、そもそも問題があるんではないの?
 フリーターが増え続けている、との社会問題。ちょっと見方を変えてみると。そもそも、ヒトは、一つの職種につかなければいけないの?卒業したら、なにも迷わず就職し、一つの職に猛進し、といったかつての常識。安定した経済生活のため、自立した社会人として、それが必要とされていた。うーん。たしかにそうだが、本当か?かつてヒトは、自分でその日の食料を得、住処(すみか)は自分で造り、服も自分で作っていたはず。(この場合の自分、とは、個でもよいし、最小生活単位の家族、一族、でもよい。)今は、自分の家を自分で造れる人なんて、めずらしい。自分でその日の食料を穫ってくる、捕まえてくる人なんて、めずらしい。自分がいま着ている服を、自分で作っている人なんて、めずらしい。生物としての生命力が衰えているのでは?社会が発展し、分業体制になったのだ、といってしまえばそれまでですが。
 医療費が増え続けている。このままでは保険制度はパンクだ。それが大問題の日本。医療費総額でみれば、確かに多い。でも、効率でみれば、ほんとに医療費は多すぎるのか?
我が国の平均寿命は、世界有数の長さ。一方、費やしている医療費の国民総生産に対する割合は、実は先進国の中でも必ずしも多いほうとはいえないそうだ。ということは、一人当たり、人生を一年永くするのに費やした医療費は、実は世界的にみれば、日本は必ずしも多い方とは言えない。効率的に医療費を使っている、ともいえそうだ。その状況で医療費を減らそう、ということは、それって、医療費をケチるってこと?もしくは、ご老人は早死にしなさい、ということか。
ご老人が増えれば、有病率が増えるのは当たり前。医療技術が年々進歩。新しい技術を使えば、当然医療費は増える。かつて死亡していた人々に、医療費をつぎ込むようになった。医療が進歩すれば、そうなるのは当たり前。医療費が増えるのは、ある意味、当たり前かも。医療技術が進んでいる国ほど、医療費は膨張していくだろう。さて、減らさないといけないということは、どういうことか?医療費をケチる社会って?それって望ましい社会なのか?そもそも医療費って、そんなに多いのか?かつて、パチンコなど遊技場で使われるお金と、医療費は、年間あたりほぼ同じ、といった話を聞いたことがある。何年か前ですけど。さて、ほんとに医療費は無駄遣いなのか。
 某国の国会での話。本来は真摯な議論をすべき場なのだが、こともあろうに、酒気帯びの議員さんがいらっしゃった(しかも複数)との噂。ほんとかどうかは解りませんが。少なくとも、そういう噂が出る事自体、すでにその国会のレベルが知れてしまいます。ともかく、けしからん、と考えるのは、当然のこと。でも、ちょっと考えてみると、その議員さんの気持ちも解らなくもない。とりあえずの質問、形式張った答弁、訳の分からない論理を自慢げに話すお偉いさん、下品なヤジ、何を議論しているのかよくわからない法案、国会で真剣な議論がなされているかどうか、だいたい、国民も知ってます。さあ、国民のために真摯に働こう、という高尚な心がけで国会に乗り込んだところが、これでは、やる気がなくなってしまうかも。しらふじゃやっとれん、と思う方ほど、実はまじめな方なのかも?  
 以上、半分以上は冗談です?

 
 

*1:積水化学さんの広告みたいです。