社宅に思う

 父が銀行員だったので、あちこちに転居した。

 いわゆる社宅というのにも住んでいたことがある。中、高校時代に住んでいた社宅は、ちょっとちがった建物だった。四角いコンクリートのマッチ箱のようなものだった。屋上(といっても、一階建ての屋上?だが)が平らなので、よく上にあがって、天体観測をした。その四角いコンクリートの箱が全部で五つあった。一つは寮で、二階建て。その他はすべて平屋で、一つは支店長宅。一つは次長宅。あとの二つが、その他。大きい順に五つを述べました。また、おもしろいことに、支店長宅のみが大通りに面しており、他の四棟との間には、空き地があった。空き地といっても、子供がちょっとした三角ベースボールができるほどの広さである。つまり支店長宅は、他の四棟と、空間的に隔てられていた。この五つの建物群は、周りをぐるりと、コンクリートブロックや金網で、外界から隔離されていた。友人は、ここには外国人が住んでいるのかと思っていた。というほど、周りから隔離された雰囲気であった。まさに租界地であった。実際、家に入るには、まずその租界地へ入るためのゲートを通らないといけない。ゲートはほとんどいつも閉まっており、住人が時々ゲートについている小さな扉を開けて出入りする。関係者以外出入り禁止、などと張り紙をしなくとも、だれも入ってこないだろう雰囲気があった。まさにここに一つの隔絶した世界があった。社宅とは、そういうものであった。じつは、この小さな世界で、一度転居した。父が出世したので、その他もろもろのマッチ箱から、次長のマッチ箱に移動したのだ。大きさが約2倍になったので、うれしかった。はじめて自分の部屋をあてがってもらった。
 その後、他県に転居した。ここでも社宅に住んだ。ここは、いわゆるアパートであった。このアパートの中でも、一度転居した。父の職場での地位の変化が、一つの隔絶した世界であるアパート内、社宅内での移動を発生させた。めんどくさ。でも広くなったからいいか。
 社宅は一つの隔絶した世界。母も大変だったろう。と思うのだが。どうだろうか。

 今日の新聞に載っていた。社宅用地数が十年で3割減少したそうだ。バブル崩壊などで効率的な土地利用を迫られたことが背景だ。と書いてあったが。
 社宅が減った最大の原因は、たぶんバブルの崩壊や、効率的な土地利用とは関係ないと私は考える。それは一つの誘因にすぎない。社宅に住んだことのある人なら、解りますよね。たぶん。