記憶に残る

 幼稚園年長から小学校2年生はじめ頃まで、山口県の富田(当時)というところに住んでいました。その後そこは、新南陽市、今は周南市の一部となっています。その後、あちこち転々としました。大学は広島でしたので、いつの間にかこちらに居着いてしまいました。広島に住んでいる以上は、どうしても、カープを意識せざるをえません。郷土の球団ということで、当然のことながら、周りはカープファンが多いです。もちろん、巨人ファンや、阪神タイガース大好き、という人もいますが、他の地域に比べると、その比率は少ないものと思われます。他の地域の人が中国新聞を見ると、おそらくそれはカープに偏向しすぎていると思うでしょう。このところ、中国新聞一面で、カープの話題が連載されています。昨日、面白い言葉が紹介されていました。それは、
 カープの存在意義について、
その中国地方へ及ぼす影響は、”巨人戦しか映らない、と東京の精神的植民地となっている他の地域と決定的に違う” というものです。精神的植民地、という言葉が頭に残りました。新球団が東北にできたのはよいことです。巨人の相対的な人気が低下することこそ、球界の発展につながると思います。

 さて、周南市出身で、炎のストッパーと呼ばれた選手がいました。津田投手です。彼はこの地方で育ち、この地方の球団であるカープで活躍しました。彼の現役時代、救援投手としての最盛期は、いまだに記憶に残っています。彼の一球一球で、球場は大きくどよめきました。炎、とはよく言ったもので、迫力はすばらしいものでした。打ち取っては球場がどよめき、万が一打たれても、どよめいたものです。選手としての寿命が長くなかったことなどもありますが、彼は、おそらく大きな記録はもっていないと思います。でも、大きな記憶を人々に与えたように思います。あの頃は、よくプロ野球を観ていましたが、最近はごぶさたです。野球の内容よりも、球団経営やオーナーのごたごたのほうが世間の関心を集めるおかしな時代になってしまいました。

 津田投手は、もう一昔前の投手ですが、彼の母校の南陽工高には、いまだに彼の想い出を探しに、全国からファンが訪れてくるそうです。
このたび、南陽工高に記念碑が建立され、23日に除幕されるそうです。