最高齢者はミイラ

 兵庫県で奇妙な事件がありました。県内最高齢者、107歳と思われていた方が、実は、とっくの昔に亡くなっていたことが発覚しました。司法解剖の結果、死後5〜10年は経っている、とのこと。
 現代の日本では、誰かがお亡くなりになったときは、誰かが死亡届を出すようになっています。届出人はたいていの場合は、家族でしょうか。もし、家でひっそりと老衰でお亡くなりになったとき、家族が届けを出さなかったなら、世間には死亡はわからないことになります。
 最近の日本人は、自宅よりもむしろ病院で亡くなることが多いそうです。たいていの場合は、家族以外の医療関係者が第三者として死亡の現場に立ち会うことになりますから、今回のような事件は発生しえません。今回の事件は、とても特殊な事例であるといえます。
 ところで、なぜ死亡届を出さないといけないのでしょうか?火葬しないといけないから?税金を取れるかどうか、年金の支払い云々を、お役所が判断しないといけないから?どうしてでしょうか?
 人間は社会生活を営むもの。ある人がお亡くなりになる、と言うことは、所属する社会、組織から、ある存在が無くなる、ということ。社会に所属している以上、いろいろとしがらみがありますので、そのしがらみを御破算にするのに、死亡届という手続きが必要なのでしょうか。
 今回の出来事は、事件として新聞に載りましたが、事件でも何でもなく、死をめぐる一つの本来の姿ではないか?とふと考えさせられました。
 この度の主人公のおじいさん(のミイラ)は、家の中で一番良い席、一階居間の布団の中にいらっしゃったそうです。お守りと新しい食事が枕元にあり、枕元と足下には和紙で包んだタオルが一つずつおかれていた、とのこと。家族は、おじいさんの死去を認識してはいましたが、だからといって、すぐに役所に届けて、焼却して、お墓に埋めて、というベルトコンベヤー式の手続きをとらず、家族でひっそりと弔っていたようです。そこには、おじいさんを失った悲しみ、死者に対する尊敬、死者の尊厳があるように思いました。そこには、個と、それを取り巻く最小単位の組織としての家族の姿がみえます。それより大きな組織は見えません。たまたま、届け出が10年遅れただけのこと。かってに県内最高齢者、と認定し騒いだ世間がピエロのように見えます。
 法律には違反してはいます*1が、これは犯罪なのでしょうか?犯罪か否か、死因は何か、を確認するのに、司法解剖が必要であるということは頭では理解できますが、本当はそんなことすべきではなかったのではないでしょうか?
 個の尊厳より、家族の希望より、組織の掟を優先させる社会。
 法律、決まり、社会のしがらみその他諸々よりもっと大切な、何か、が失われた現代社会。

*1:軽犯罪法違反、届け出義務に違反