うぐいすに想う

 鳥の声で目が覚めた。もちろん、うぐいす。(だと思う。)
でもまだ、ホーホケキョとは鳴けない。けたたましい声でケケケケと鳴いたかと思うと、ケケキョケキョ、ケケ、キョキョ。うまく鳴けないようだ。季節を告げる鳴き声にも作法がある。練習しないと、うまく鳴けないようだ。ところで、鳴き方は誰に教わるのだろうか?
 新しい季節が巡ってきた。うぐいすは作法を習得中。

 さて、このところ団塊世代の大量退職やニートなどが話題になる日本。熟練技術者が定年を迎え退職する一方、手に職をつけようとしない(つかない、つけない)若者が増えているそうだ。より良い生活を求め、企業戦士、馬車馬と形容されるほど働き、高度経済成長をささえた方々が職場を去って行く。後に続く世代、飽食時代に育った人々は、何を求め仕事をするのだろうか。仕事に何を求めるのだろうか?
 このままでは、日本社会が築き上げてきた様々な技術が次世代に継承されないのではないか、との危惧がわき起こっている。我が国はモノを創って、価値を創造して、それを輸出して稼いできた。ところが、技術が継承されないと、モノを創れない、価値を創造出来ない、そうなると外貨は獲得出来ない。その恐れが目の前に到来しつつある。熟練者から若者に技術が継承できない。それはすなわち、この社会が築き上げてきたモノ創りのシステムが減速してくること。我が国の衰退につながるかもしれない。
 世代は巡るが、技術は継承されない。次世代は何を習得中?