学校が楽しくない

 さて、ちょっと考えてみましょう。
もし、あなたと、あなたの仲間が、共同でなにかの仕事をしていたとします。例えば、あなたが、ある楽団で、ある楽器を担当しているとしましょう。このところの猛練習の成果もあり、年一回の大きな演奏会がうまくいったとします。めでたし、めでたしです。さて、それを聴いて感動したある人が、ぜひ、うちの会場でも近々演奏してくれ、と頼んできたとします。嬉しい反応ですよね。ところで、もう一回演奏会が増えるということは、当たり前ですが、仕事が増える、ということです。その分、収入が増えるかもしれません(歩合制であれば)。めでたし、めでたしです。ところが、そのぶん、練習時間が増える、ということでもあります。公演日が休日であれば、お休みが減ってしまう、ということでもあります。
 楽団の団長が、全員休日出勤すべし、と号令をかけたとします。公演が増えた分、休憩時間に練習すべし、と命令したとします。皆がこぞって、それに賛同するのが当然なのでしょうか?
 演奏はみんなで行うもの。楽器が一つ欠けると、成り立ちません。だから、みんなが出席しなければいけない。そういう考えが当然なりたちます。まあ、いわゆる団体行動が、個人の自由に優先する、ということでしょうか。
 これ以上公演が増えるのは嫌だ、収入増には興味がない、休日は自分の自由な時間が欲しい、休み時間まで練習したくない、とある人が思っていたとします。当然その人は、不愉快になりますよね。休日に出勤する、もしくは休み時間に、余分な仕事の練習をしなければならない、これを負担に思う人がいたとして、はたしてその人は弾劾されるべきなのでしょうか?楽団がその余分な仕事を受けたがために、その人にとって、本来楽しいはずの楽団の活動自体が、不愉快なものになってしまうことがあるかもしれません。
 このところ、我が愚息は、学校が楽しくないらしい。
理由は簡単。休み時間に自由に遊べないから。(ほんとかどうかは解りません。子供のことですから、多少の誇張があるようですが。)休み時間に、歌や、鼓笛パレードの練習があるそうです。
休憩時間こそ学校生活の最大の楽しみ(実は私もそうでした。http://d.hatena.ne.jp/nanbadental/20041030)、という我が子にとって、これは確かに憂鬱なことかもしれません。
 仕事を受けたのは誰のため?そこまで練習するのは、いったい、誰のため?