私は何のために働く?

 今朝、出勤途中、ラジオで面白い宣伝が。
内容は、給料を上げてくれないと、働く意欲がなくなる、というものだった。
たぶん、給料を上げてね、と言いたいらしい。
 誰に聴かせるための宣伝なんでしょうか?朝の出勤時間にラジオを聴いている人々って、どういう人達でしょうか。たぶん、車に乗って通勤している人々ではないでしょうか。労働者、普通の会社員、要するに給料をもらう立場の人々だと思います。給料の決定権のある会社の重役諸氏に聴かせたいのなら、もうちょっと放送の時間帯を考えたらいいのではないか、媒体を換えた方がいいんじゃないか、と、余計な心配をしました。
 でも、その後思いつきました。この時間帯にラジオで放送したということは、案外、給料をもらう立場の人々向けに放送したのではないか、と。
 つまり、お前たちは、給料以上の働きをしているんだぞ。もっともらう権利があるんだぞ。怒れ、立ち上がれ、というメッセージを発したのではないか、と。
 どうしてその様に思ったかというと、その直後の番組の影響です。
 その直後のラジオ番組で、これまた興味深いお話が聞けたのです。
日本では、労働者は、給料以上の働きをしている。
アメリカでは、給料以上の働きをしない。
 という内容です。(ほんとかどうかは別にして。そうも言い切れないような気もしますが。)
なるほど。これがトヨタとフォードの差かもしれない。
日米の企業の比較をするのに、経営手法や会社の形態、組織の仕組みなどの違いがよく議論に上りますが、労働者の質、意欲の差も、しばしば議題にあがる重要なファクターですよね。一昔前は、日本の方が人的資源は優れていると言われていましたが、さて、今はどうでしょうか。
 折しも、あるIT企業(はじめはIT企業だったらしいが、現在の実態は違うらしい)の経営者が、逮捕されてしまっています。私はよくわかりませんが、その錬金術の手法に問題があったらしい。彼はもう既に大金持ちであったそうですが、それにも関わらず、まだまだ利益を追求していたらしい。際限なく。なんの為に?
 蹲いに、なにかの記号?が刻まれているのは、かなり以前から知っていました。ある呪文のような記号。何年か前にその意味を知り、衝撃を覚えました。
でも、これは難しい。吾唯足知
 塩水を飲めば飲むほど、ヒトはのどが乾く、といわれます。お金があればあるほど、もっと欲しくなる。モノがあればあるほど、もっとモノが欲しくなる。のどが乾き続けるがために、我々は働き続ける?日本人はもう既に金持ちであると言われています。私の子供の頃に比べても、十分モノがあふれています。それにも関わらず、仕事で疲れきっていると言われている日本人。私は何の為に働いているのか?隣の人はなぜ、疲れるまで働いているのか?食べるため?ほんとにそうか?
 給料が上がったら、今より幸せになるのでしょうか?今より働かなくなるのでしょうか?時間にゆとりが出るのでしょうか?
朝のある瞬間に聴いたラジオの宣伝文句で、ちょっと考え込んでしまいました。
人は何のために働く?私自身は?