止まった時計

 初めて訪れたレストラン。
向こうの壁に、大きな時計が掛かっていた。
ん?少し遅れているようだぞ。ちゃんと毎日確認しているのかいな?
雰囲気のよい小奇麗な店であったので、その遅れが目だってしまった。まあいいか。
 料理をおいしくいただいた。
 しばらくして、ふと例の時計を見ると、なんと、動いていない。さっきからまったく進んでいないではないか。遅れているのではなく、動いていないのである。
その時計は、掛け時計としては、大きなもので、いやがうえにも目立っている。雰囲気があり、店の一角に大きな存在感をしめしている。その目立っている時計が、なんと止まっている。???
 電池切れ?みっともない。
まてよ。もしかして。
もしかして、わざと止めてあるのではないか?食事している時は、時間を忘れましょう。時の経過を忘れるほどの美味を提供します、という自信の現われなのか?
 ふと考えた。時間に追われる生活をしている。まず朝は、目覚まし時計に起こされる。息子の電車の時間に合わせて、家を出る。仕事中は、当然、時間との戦い。昼ごはんは、可及的に短時間で済ませたい。この仕事は今日までに、あの仕事は明日までにしなければならない。時間が足りないじゃないか。
Time is Money.???
 とあるレストランで見つけた、存在感のある時計。動いていないからこそ、輝いていた。
物言わぬ時計に、生活の反省を促された。
コース料理はおいしかった。
止まった時計は、最高のもてなしだった。