懐かしの扇風機

 先日の新聞で、とても懐かしいものに出会った。
ただの扇風機。しかも古いやつ。実家にあるやつ(私が小さい頃からある)とそっくりだ。
 何でこんなものが?と思って記事を読んでみると、どうも火事の原因となったようだ。電機部品が経年の劣化により、発熱、そして火事となったようだ。

 急いで実家に電話した。
とうとう動かなくなったので、先日捨てたよ、とのこと。
ほっとした。と同時に、なにか寂しい気持ちにもなった。
 
 扇風機で火事になるのか。これは一大事だ。ただ、かなり旧式の扇風機が、その可能性がある、ということである。
 ものには寿命がある。特に電気製品は、そうであろう。十年、二十年経つと、部品の劣化などが起こって当然、と考えるのが普通と思っていたが、それもメーカーの責任と考えるか?いつまで責任を取らないといけないのか?難しいところである。
 今回は運悪く、人的被害がでたので、メーカーは頭を下げ、謝罪しているようであるが、その心はいかに。
10年くらいで壊れたものに対しては謝罪の必要がなく、30年以上使い続けた、非常に長持ちしたものに対しては謝罪しないといけない。これは複雑な心情だろう。たとえトラブルを起こしたとしても。
 三十数年前の製品を使用することの是非。「注意喚起が、消費者に十分伝わっていなかったことを重く受け止めている」メーカーは頭を下げ、謝罪した。
 しばらく使っていたら熱くなって、どうも普通ではない、という認識を持っていたが、相変わらず使い続けていた、との(被害者?の)家族の言葉があるようだ。
十分な注意喚起ができるのか?多分できないだろう。古いものは捨てましょう、とメーカーが広報しても、多分使い続けるのではないか。
たぶん私なら、使い続ける。もったいないし、つきあいが長くなればなるほど、愛着があるから。
 モノを造る立場からすると、購入者にできるだけ喜んでもらえて、なおかつ、できるだけ長持ちする製品を造りたい、というのが本音であろう。せっかく長持ちしたのに、それで謝罪しなければならなくなるとしたら。
これは悲劇だ。
 今の技術であれば、ある程度の期間で、モノが壊れるように仕組んでおくことは難しいことではないだろう。
残念ながら、そのようにするのが、電器製造業者に必要とされているのかもしれない。
長持ちさせるのではなく、責任を回避するために、本来のモノの寿命より短い期間で、製品が壊れるようにすることが。