二千円札

 今日、珍しい物に出会った。
二千円札。そういえば、こういうのもあったっけ。
懐かしいなあ。
まだ発行しているのかな?
 コンビニで、一万円札を出したとき、おつりでもらったのである。
 店員さんが、申し訳なさそうに言った。
すみません、おつりに二千円札が混じってもいいですか?

 二千円札って、人に渡すのに憚れるような物なんだろうか?人に渡して困るような紙幣って、いったいそれって何?紙幣って、流通するためにあるのでは?
 これは大いなる矛盾。
 変な紙幣だと思った。かわいそうともいえる。
もらって嬉しくない紙幣って、存在意義があるのか?
 あった。偽札造りの人には、とってもおいしい状況かもしれない。滅多にみない紙幣なので、渡されても、それが本物かどうか、区別がつかない。少々図柄が違っても、だれも気にもとめないのではないのだろうか?紫式部清少納言になっていたとしても、少なくとも、私は気がつかない。おもちゃの二千円札を、これは本物だ、といったとして、はたして、私の周りの人で、それっておもちゃでしょ、と看破できるほどの二千円札通がいるかどうか。
 ここで、あれ、と思った私である。
ところで、千円札の図柄って、どうだっけ?一万円札にのってるのはだれ?

 

早すぎるお目覚め

 昨日、一昨日と、比較的、暖かかった。
 冬用タイヤに交換してこのかた、雪が降らない。
このところ、地球の温暖化が話題になっているが、実感として、雪が減ってきたように思う。
 先日の、環境省の専門家委員会の報告では、地球温暖化の影響により、国内でも今世紀末には気温が最高6度近く上昇する(かもしれない)とのことである。
 その時点では、私はとっくの昔に死んでいる、といってしまえばそうなのだが、かといって、無視すべきことでもない。これはたぶん大問題だ。どうしたらいいかわからないけど。とりあえずは、何か省エネでも考えてみよう。

 さて、今日はお仕事はお休み。
というわけで、愛犬といつもより遅いお散歩を楽しんだ。
10時前である。やはり冬なので、さすがに空気は冷たい。ただ、お日様の暖かさを感じる。なにか、早春の気配だ。春が来た、といった雰囲気なのだ。モンシロチョウでもそろそろ飛んでいるかもね、と一瞬思ってしまった。
 まだ1月なのに。

 愛犬が何か見つけて、鼻面を近づけようとした。
ん?えっ?
ヘビ?
やっぱりヘビだ!
思わずリードを引っ張る。
びっくり。

 ヘビが冬眠から目覚めたようだ。たまたま気の早いヤツが出てきただけなら良いのだが。
やっぱり温暖化は進んでいるのか?不気味な感じ。

まだ1月なのに。

うらやましい遺言

 子供の頃、運命ゲームという双六ゲームにはまっていた時期がある。
ゴールが終わった時点で、財産がどのくらいあるかを競うものである。
確か、ゴール近いところに、遠縁の親戚からの巨額の遺産が手に入る、といったマス目があったように記憶している。うらやましい。
 ほとんどあっていない親戚から、突然巨額の遺産が転がり込む、夢のようなマス目である。ほんとうにうらやましい話だ。
 私にも、外国に大富豪の知らないおじさん、なおかつ、跡取りがいないおじさんがいて、ある日ぽっくり逝ってしまって、私に巨額の遺産が転がり込む、なんてことがあったら。ああ、想像するだけでも嬉しい。
 そんなことあり得ないけど。

 さて、世の中には信じられないこと、まか不思議なこと、想像を絶することが起こりうる。
なんと、一匹の犬が、14億円もの遺産を相続したそうだ。お犬様誕生だ。
米国のホテル女王様が死去し、愛犬にとんでもない額の遺産を残したそうだ。信じられない。犬がどうやって使うのだろう。
犬公方、徳川綱吉でさえ、そんなに巨額を犬のためには使っていないのではないか?

 犬の寿命は十数年と聞くが、ということは、相続した犬が幼犬であるとしたら、単純計算で、一年あたり1億は、使わないといけない。一日あたり、30万程度。なるほど、三食たべるとしたら、一食に十万円かければよいのか。高級食材のドッグフード(そんなのがあるとして)を、飽食三昧したら、使い切るかも。
 ただ、飽食三昧すると、寿命が短くなっちゃうかもしれない。犬が14億円使い切るのは、至難の業と思われる。使い切ってないうちに死んじゃったら、残りの遺産はどうなるのか。残りの遺産をめぐって、骨肉の争いが起こるかも。お犬様のおこぼれを人間がもらうことはできるのでしょうか?アメリカの法律はどうなっている?そこが気になる私であった。
 ところで、我が国では、犬公方、徳川綱吉の死後、あっという間に、生類憐れみの令は、撤廃されたそうだ。しかも、綱吉の葬式が終わってないうちに。皆さんよっぽど腹に据えかねていたんでしょうね。
 米国のお犬様の名前は、トラブルちゃんだそうだ。名前がしゃれている。今回の出来事が、トラブルの元になれなければよいが。
周りの皆さん、トラブルちゃんをかわいがってね。後見人の死後、あっという間に葬り去る、なんてことのないように。
 

懐かしの扇風機

 先日の新聞で、とても懐かしいものに出会った。
ただの扇風機。しかも古いやつ。実家にあるやつ(私が小さい頃からある)とそっくりだ。
 何でこんなものが?と思って記事を読んでみると、どうも火事の原因となったようだ。電機部品が経年の劣化により、発熱、そして火事となったようだ。

 急いで実家に電話した。
とうとう動かなくなったので、先日捨てたよ、とのこと。
ほっとした。と同時に、なにか寂しい気持ちにもなった。
 
 扇風機で火事になるのか。これは一大事だ。ただ、かなり旧式の扇風機が、その可能性がある、ということである。
 ものには寿命がある。特に電気製品は、そうであろう。十年、二十年経つと、部品の劣化などが起こって当然、と考えるのが普通と思っていたが、それもメーカーの責任と考えるか?いつまで責任を取らないといけないのか?難しいところである。
 今回は運悪く、人的被害がでたので、メーカーは頭を下げ、謝罪しているようであるが、その心はいかに。
10年くらいで壊れたものに対しては謝罪の必要がなく、30年以上使い続けた、非常に長持ちしたものに対しては謝罪しないといけない。これは複雑な心情だろう。たとえトラブルを起こしたとしても。
 三十数年前の製品を使用することの是非。「注意喚起が、消費者に十分伝わっていなかったことを重く受け止めている」メーカーは頭を下げ、謝罪した。
 しばらく使っていたら熱くなって、どうも普通ではない、という認識を持っていたが、相変わらず使い続けていた、との(被害者?の)家族の言葉があるようだ。
十分な注意喚起ができるのか?多分できないだろう。古いものは捨てましょう、とメーカーが広報しても、多分使い続けるのではないか。
たぶん私なら、使い続ける。もったいないし、つきあいが長くなればなるほど、愛着があるから。
 モノを造る立場からすると、購入者にできるだけ喜んでもらえて、なおかつ、できるだけ長持ちする製品を造りたい、というのが本音であろう。せっかく長持ちしたのに、それで謝罪しなければならなくなるとしたら。
これは悲劇だ。
 今の技術であれば、ある程度の期間で、モノが壊れるように仕組んでおくことは難しいことではないだろう。
残念ながら、そのようにするのが、電器製造業者に必要とされているのかもしれない。
長持ちさせるのではなく、責任を回避するために、本来のモノの寿命より短い期間で、製品が壊れるようにすることが。

小は大に追いつくか?

 先日の新聞に載っていた。あるメーカーが、一本315万円のスピーカーを発売するそうだ。プロ向けではなく、一般向けだそうだ。二本で、630万円なり。私はオーディオにはあまり詳しくないのだが、たぶんスピーカーってのは、少なくとも二本が必要ですよね?
 以前から聞いていたが、オーディオは、凝る人は凝るそうだ。スピーカーだけでは音は聴けないので、このスピーカーに相応しいアンプや、その他もろもろをそろえると、とんでもない額になりそうだ。たぶん高級オーディオというのは、狭い部屋で聴くものではないと思うので、大きな部屋も必要となる。もちろんその部屋には、箪笥や机なんかあっては興ざめですよね。というわけで、購入層は限られていますよね、たぶん。いったい、どんな音が聴けるのか、興味深いところである。私は今まで、このような高級スピーカーというのは聴いたことはないし、そもそも見たこともない。一度、聴いてみたい。
 実は、このところ、Macにつなげるスピーカーが欲しいと思い、いろいろと調べているところである。そういうこともあり、この記事に目がいったのだ。
 ボーズのマイクロミュージックモニター(M3)というのに興味を抱いているところである。幅わずか64mm、高さ122mmと極小ボディで、価格は、5万円程度。本格オーディオを凌駕する迫力あるサウンドだという。ある方のレビューに、『まるで、1000万円のオーディオセットの精巧なミニチュアを聴いているよう 。』とあった。これがほんとなら、万歳だ。幅や高さは、先ほどのスピーカーの約十分の一、値段は、約120分の1。我が部屋で聴くには、この大きさがちょうど良さそうだ。値段の方も許容範囲である。
 ところで、このM3のレビューに、『歌手が目の前で歌っているようだ。』というのもあった。これは凄い。5万円で、歌手が目の前にいるようなら、630万円なら、歌手が飛び出てくるのだろうか?やはり、一度、聴いてみたい。

靴下に思う

 どうもこの靴下は、具合が悪い。
歩いていない時は問題ないんだけど、歩いていると、少しずつずれて、ずれ下がってくる。この前履いたときからだ。今日、違う靴をはいていてもずり下がってくるので、靴の問題ではなさそうだ。ある程度歩いたら、ズリ下がった靴下を挙げる。また歩いて挙げる、この繰り返し。右は問題ないのに、左だけ。
 歩く度に下がってくるのがわかる。気になってしょうがない。家に帰るまでには時間がある。どうしよう。
 ん?ふとみると輪ゴムが落ちている。犬も歩けば棒に当たる。人も歩けばゴムを拾う。というわけで、ゴムでとめてみた。うーん。心持ちよくなったか。でもやっぱりこのゴムでは力が弱いようだ。もう一個、もっと強力なのが落ちていないか、下を見て歩く。なかなか見つからない。ただの輪ゴムをこれほど熱望したことはない。それほど情けない状況になってきた。
 靴下がズレずにきちんと止まっている。このあたりまえのことが、なんて偉大なことなんだろう、と思った。
 

いつのまにか秋

nanbadental2006-09-23

 つい先日まで冷房をがんがん効かせていたのに、このところ、朝夕は肌寒くなってきた。
庭に、いつのまにか、彼岸花が咲いている。何年か前に植えた、白花。燃えるような赤もいいが、ひっそりとした白も、この季節に似合うと思う。